フッ化物の発見

 

Dr. Frederick McKay, circa 1915  Courtesy of the Colorado Springs Pioneers Museum

Dr.フレデリックマッケイ、1915年頃 コロラドスプリングズ・パイオニア博物館の御好意による

 

 

コロラドスプリングズの歯科医師たちは歯学会の未知のトピックスよりもはるかに偉大な財産を受け継いでいる。歴史上、極めて有意義な科学的な歯科調査である ? う蝕の減少に関連する斑状歯(コロラド褐色斑)と飲料水中フッ化物の相互関係 ? この関係の解明にエルパソ郡歯科医師会の先輩達が取り組み広めたのである。1902年に、エルパソ郡歯科医師会は公式にコロラドスプリングスの大半の住民に典型的なエナメル質褐色斑があることを認め、Dr.フレデリックマッケイの主張を受けて、ついに当該歯科医師会はエナメル斑の系統的な調査を認定した。褐色斑地域を絞りこむ調査として、ロッキー山脈一帯の歯科医師に手紙を出した。しかしながら、コロラドの歯科医師の反応は芳しくなく、数年間さしたる情報も得られなかった。記録によると、1906511日に、再度、ウォルターA.ブラウンは歯科医師会に褐色斑を問題提起した。190858日になり、やっとDr. McKayは斑状歯の調査を始めた。

 

 

Dr. Frederick McKay Dr.フレーデリック マッケイ

Dr.フレーデリック マッケイは1874年にマサチューセッツ州のローレンスに生まれ、1900年にペンシルバニア大学歯学部を卒業後、1901年にコロラドスプリングスにやって来た。卒業して間もなく好奇心旺盛であったこと、またコロラドスプリングス生まれでなかったので、Dr.マッケイは白斑や褐色斑のある歯、重度の場合にはエナメル質に小さな窩のある多くの患者に興味をそそられた。ところが、Dr. McKayはこのような審美的な問題を意に介しない専門家の無神経さに困り果てた。

1905年には、Dr. McKayは、歯列矯正学を専攻するためにセントルイスへ移住した。セントルイス滞在中にも褐色斑を見つけた。その後、彼は体調を崩し、1908年にコロラドスプリングズへ戻り、褐色斑の調査を継続した。190858日に、Dr.マッケイとエルパソ郡歯科医師会は、コロラド州歯科医師会大会で褐色斑の患者を示説し、コロラドスプリングズ、コロラド市、マニブで生まれの子供の歯に特徴的な褐色斑を例示してこれへの関心を促した。その会合の参加者たちは地方病的な斑点のある歯に遭遇する機会のあることを学んだに過ぎなかった。

19081211日に、コロラドスプリングズ地域の公立学校の小児の歯を調べて「コロラド褐色斑」の証拠を得るために、Dr.マッケイ、フレミングおよびバートンから成る委員会が歯科医師会によって組織された。

190918日に、教育委員会は調査委員会に子供の歯の診査を許可した。また、コロラドスプリングズ歯科医師会は、検査と記録票の費用として21ドルの費用を負担した。検査の間中、Drs.マッケイとバートンは、歯の状態と斑状の程度を記録しながら、多忙を極めた。.口腔診査結果は親に尋ねた質問票から得られた出生地、居住地、コロラドスプリングスに移住してきた時の児の年齢の結果とクロスさせた。1909年の春の期間に、両名の歯科医は2,945人の子どもを検査し、87.5パーセントに何らかの着色や斑点の症状を認めたこと、並びに症状のある子どもたちはすべてパイクスピーク地域出身であることが明らかになり驚いた。

 

褐色斑の原因には多くの説があった。それが貧困層(栄養不良などからの)に限定するものと考えたり、豚肉の過量摂取や牛乳の多飲によると思い込んだりした。人によっては、ラジウム曝露の所為にしたり、小児疾患によって着色が生じると信じている者もいたが、多くの人たちは、地域飲料水中のカルシウムの欠乏なのだろうと考えた。

1908年には、Dr. McKayが、奇妙なコロラド褐色斑に関してG.V.Black博士(シカゴのノースウェスタン大学歯学部の学部長)と見解の一致をみた。Black博士は褐色斑に興味を持つようになり、問題解決に組織学な調査を始めた。1909年には、直に着色エナメルは斑を観察するために、Black博士はコロラドスプリングズを訪れた。

Black博士が褐色斑に関心を寄せたので、歯科専門家の関心が高まり、この問題を科学的に重要な水準にまで高めることになった。この時から、Dr. McKayはアメリカ合衆国国内を旅して、検査を行ない、かつ、10の州の状態を図示した。また、ヨーロッパの2国で個人的に検査を行なった。彼は、科学的な団体への出版および発表のために褐色斑についての40を越える論文を準備した。Dr. McKayは自分の研究のためにほぼ自己資金を投入した。彼が受けた唯一の財政支援は、コロラドスプリングズ市(市および郡の両方は500ドルを誓約したが、どちらも十分な資金を利用できず)から125ドルであった。Dr. McKayがコロラド州の歯科医師会会長をしていた時に、CSDA から150ドルを得た。また、1912年にアメリカ歯科医師会から800ドルという多額の資金が提供された。1917年には、Dr. McKayはニューヨークに移住し、当地で彼は1940年まで歯周病学を専攻した。1940年に彼はコロラドスプリングズに戻り、歯周病学の実践を継続した。彼は1959822日にコロラドスプリングズで没した。

 

要 約

Dr. McKayは幾人かのコロラドスプリングス住民に見かけの悪い褐色斑とエナメル質の小窩(ピッティング)にまず引きつけられたが、さらに彼は調査するうちに、褐色斑のある歯を持つ人々にはむし歯が少ないことを発見した。1931年になって初めて褐色斑の原因がコロラドスプリングズの公共飲料水の中の高濃度のフッ化物イオンによるものであることが最終的に特定された。コロラドスプリングズのフッ化物はパイクスピークの岩石からの天然由来のものであった。ここの地域飲料水にはフッ化物を含むミネラルである、氷晶石の沈着物が溶け出ている。雨水または雪溶け水が岩の構成分であるフッ化物をしたたらせるともに水中にフッ化物イオンが溶け込む。

疫学研究によって、その後フッ化物の有益性が確認された。1つの研究では、飲料水中のフッ化物がかなり少ないコロラド州ボールダーで暮らす子供のグループとコロラドスプリングズの子供を対応させて比較した。 この研究によって、コロラドスプリングズで暮らす子供のむし歯は有意に少ないことが示された。

Dr. McKayおよびコロラドスプリングズの先進的な歯科医のおかげで、現在では公共水道水フッ化濃度適正化は利用可能な最も効率的で最もコスト効率が良いう蝕予防手段と考えられる。

フッ化物濃度適正化は50%以上もアメリカ人のむし歯を減らした。今や、水道水フロリデーションの利益は過去数十年間に渡り20ケ国で行われた140を越える論文化された研究結果によって支持されている。

10,000を越える地域の14400万人以上のアメリカの住民が、フッ化物で調整された水を飲んでいる。地域水道設備の水道水フッ化物濃度適正化はう蝕を防ぎ、かつ生涯に渡って口の健康を増進する単独の最も有効な公衆衛生手段である。