南砺福野高校、甲子園初出場へ

メーク・ミラクル

「Rookies」二子玉川学園のような快進撃で、最後は「キセキ」

信じられない!
こんな事があるのか?
天と地がひっくり返った!

福野高校を卒業して、38年経つが、後にも先にも、1回しかないであろう(こんなことを言っては、後輩達に叱られる・・・)と、思われることが起こった。
恩師の中島良夫先生が、同級生の電話に涙声だったという。
福野高校の歴史を語らせたら、右に出る人はいない、中島先生を誘って昨年5月10日(くしくも小生の誕生日)に仲間と甲子園の阪神ー巨人戦に行ってきた。
「福野高校が来ることはないからね、一度来たかった」の小生の言葉に、「万が一ということがあれば、ね」と中島先生。
まさに、それが実現したのだ。

昨日、診療をサボりながら、スタッフの白い目を気にしながら、テレビを観戦していた。
1回の守りで、最小失点で食い止めたときは、何かいける気がした。
2回にも、1点を取られたが、先発の盛田君が、次の3回を零点でしのいだときに、小さい流れが来た予感。
ちょうど、5回の攻撃中に、痺れを切らしたスタッフに患者さんです、と呼ばれ、その間に、1点をもぎ取って、さあこれからか、と待合室の歓声に耳を澄ませた。
しかし、6回・7回と追加点を入れられたときは、やっぱり高商か・・・誰もがそう思ったに違いない。
8回裏、あっさり高商が攻撃を終えたとき、スタッフ(福野高校出身者は自分ひとり)の目を避けて、一人2階に上がり、気を送りながら、大型画面前に座り込んだ。
あとは、キセキを祈った。
先頭バッターの上田君のヒットが、ピッチャーをかすめてセンター前に転がったとき、画面の帽子のFマークが、「Rookies」の二子玉川だ、と思った。
それからは、一人で画面に「お前達はRookiesだ」と叫んでいた。
金田君の2点タイムリーで、絶叫し、松本君の2点三塁打で、飛び上がってガッツポーズ。
そこで、9回裏は、診療に戻り、2死まで普通に治療を始めたが、ヒットが出てから、また、待合室のテレビ前に。
満塁になって、患者さんと、「大丈夫、大丈夫。」と励ましあい、最後のバッターの三塁フライで、患者さんと大喜び。
それから、卒業生の三女にメールし、さらには電話。
同級生達に、メールを配信した。

さあ、甲子園。(昭和46年卒業生:福高46辰巳会・・・山本武夫)
南砺総合福野高校HPより


7月30日北日本新聞号外・・・知人より頂きました