山本武夫の眼科闘病記(2002年12月〜)

12月8日
 午後、目の前をくもの糸みたいなものが走る。追いかけると逃げていく感じ。【飛蚊症】

12月10日 
 午前、くもの糸が多くなり、透明な糸の中に黒い塊が見え出す。あちこちに見える。雪がたくさん降り、除雪中、目の横でフラッシュをたかれたような光が一瞬見えた。【光視症】
 午後、次第に黒い塊の詰まった糸が多く見えるようになる。
 夜、薄い橙色のすりガラスを通して物を見るような状態になり、次第に視力がなくなる。

12月11日 
 午前、一向に良くなる気配なく、すりガラス状態のまま。近くの福野町森田眼科(森田嘉樹先生)を受診。「網膜剥離」で即手術を言われる。
 金沢大学医学部付属病院眼科に連絡を取ってもらう。「午後3時まで、外来に来てください」とのこと。
 午後の患者さんをキャンセル。代診を手配可能か、知人に依頼。

 午後、タクシーで金沢へ。(雪が朝から多い)
 外来で予診・検査のあと、9階の眼科病棟へ。個室956号室に入室。
 診察の結果、「裂孔原性網膜剥離」で眼底出血からくる「硝子体混濁」が見られるということで、手術を受けることになりました。
 また、年齢が50歳ということで、「白内障」の手術も併せて行うことになりました。
 午後6時に病室を出て、手術室に向かい、睫毛の切断などの術前の処置の後、約正味1時間30分の手術が始まりました。
 担当の先生は、西村彰、小林両先生で、局所麻酔下で行われました。
 手術中、痛みは全く感じませんでした。
 手術直後、剥離した部分なのか、小さいUの形がはっきり見え、イソジンの消毒後、そのUの部分が茶色く染まりました。
 その後、手術が進むにつれ、左目は真っ暗になり、何も見えなくなりました。
 手術が無事進行している様子が、局麻下なので、西村・小林両先生の会話から伺われ、安心していました。
 看護婦(正式には看護士)さんが、終わりましたよ、と声をかけられ、ようやくほっとしました。
 病室に帰ったのが、午後9時でした。
 そして、夕飯が9時半に持ってこられました。

 病棟での担当は、小林先生と、若手の辻屋壮介先生となっていましたが、後から思うに、手術された西村先生と3人に退院まで見ていただきました。
 辻屋先生からの説明で、「左硝子体茎顕微鏡下離断術(網膜付着組織を含むもの)」と、「左眼内レンズ挿入術」という、手術を受けたことがわかりました。

 「手術内容は、網膜剥離した場所は、眼険を切開して、眼球の裏側から冷凍凝固してくっつけます。瘢痕治癒をはかるのが目的です。硝子体が混濁しているため、中のものを全部眼球の表側から、小さな穴をあけ摘出して、ガスを充填し、網膜の再剥離を抑えるようにします。そして、眼内レンズを取り出し、人工のレンズを埋入します。」(詳細については、下記、東海HPに詳しく載っています。)

 その晩から、点滴が始まりました。
 抗生物質が主で、短い時間ですが、常時血管に挿入されたままでの、移動や生活を始めて経験しました。

 このガスが黒い水溜りのように眼の中で動いて見えます。
 最初は、一杯あるので、フラスコのそこから景色を見るような感じです。
 時間が経つにつれ、ガスが少なくなってきました。半分ぐらいの時、水筒の中の水がチヤポチヤポすると周りを刺激するように、網膜をはがす可能性があるからあんまり動き回らないようにと言われました。
 黒いのが少なくなってきて、眼の中をスーパーボールが行ったり来たりしているように見えます。

12月22日 初外泊許可
 自宅に帰って、メールを見たり、気になる仕事を片付けました。
 
 病院であまりすることがないので、闘病記をメモしたり、あまりしてはいけないのですが、読みたかった「亡国のイージス」を読みました。
 西村先生の予測が2週間ほどでしたが、術後18日目でガスが完全に消失。

 術後の経過で、一番気になったのは、角膜の治りでした。
 角膜はトカゲの尻尾と同じで。傷ついてもすぐ上皮が再生するそうです。
 手術で傷のところが、思うように治らず、特に内皮のしわが伸びず経過を心配されました。
 その所為か、クリアファイルを通して物を見る感じで、なかなか鮮明には左目は見えてくれませんでした。

12月30日 退院
 それでも、だいぶ角膜の直りもよくなって、退院という運びとなりました。

2003年1月10日
 退院後、最初の診察。
 西村先生に見てもらい、かなり角膜が改善してきたとコメントをもらう。
 術後、角膜の保護などもあり、治療用のコンタクトレンズを入れていたが、交換をしました。
 その際、角膜のかさぶた見たいのが取れて、その後今までになくクリアに物が見える様になって来ました。
 その時点で、はっきりと差が表れました。

1月24日
 西村先生の診察。
 もうほとんど心配ないくらいに回復していますとのことでした。
 水泳など、元と同じ生活は、次回の健診結果で判断しますとのこと。

2月10日
 西村先生の診察。
 完治宣言。(ばんざーい!)
 森田先生への返書を頂く。

  

金沢大学の皆さん、本当にお世話になりました。
おかげさまで、すっかりよくなりことができました。
心より感謝申し上げます。
医学の進歩により、いろいろな病気で悩む人たちがいますが、是非、暖かい手を差し伸べてください。

このHPで、少しでもおなじような病気で悩む人や、手術の心配をされている人に病気のことを少しでも理解していただきたくて、まとめて見ました。

もし心配でしたら、是非専門家をお尋ね下さい。

金沢大学医学部付属病院眼科(п@076-265-2000) 

【眼科初体験】
 今まで、目薬をほとんど使ったことのない人間でしたので、眼科に入院しての定時の点眼は、最初は珍しいのと、必ず看護婦さんにしてもらえる歓びを感じていましたが、慣れてきて自分でやってみましょうと言われてからは、なんか面倒くさいものになりました。
 それと、目が悪い(近眼)のものにとって、めがねをかけられないのは、屋根に上がって梯子を取られたようなもので、どうしようもないです。慣れるまでは、手探りで動かないといけないような感じでした。
 しかし、逆に、声だけで顔は良く見えないものですから、看護婦さんが皆さん若くて美人(?)でした。(これはほんの冗談。眼科病棟の看護婦の皆さん皆さんごめんなさい。)後から、実際に美人でしたので、前言取り消します。
 眼科に始めて入院して、「回診」というと、先生が回られるのだろうと思っていましたが、ここでは、患者が出向かねばならないのです。眼科特有の【暗室】で診察を受けますので、インターホンで呼ばれたら、行かなければなりません。週1回、教授回診がありました。
 シャワーやお風呂が1日おきかわるがわるに使用で来たのはうれしかったです。

 今回、眼科に入院し、日ごろ知らなかった目の知識を勉強しました。詳しいHP@(EYE−HOMEPAGE) HPA(東海眼科)紹介します。 

【金沢大学医学部付属病院】
 2年前に、母親が消化器外科で手術、入院していた時は古い病棟だったので、足元が寒い感じでした。
 しかし、自分が入院した新しい病棟は、いっぱしのホテルと言う感じで、病棟の端には眺めのいい小さいデイルーム(日中くつろげるスペースがあり、マッサージ器も備えてあります)や、広めの食堂と言う感じの大き目のデイルームなど、ゆったりとして患者さんにいろいろ配慮がされています。
 そしてなんといっても、よかったのは、眼科病棟にあった、廊下の誘導灯です。飛行機の夜間飛行時に通路に、蛍光灯がつくのと同じようなものです。金沢大学の眼科病棟はこの蛍光灯が、3色少し時間を置いて変わる特長があります。
 これはよかったですね。近眼で片目が眼帯で覆われて、眼鏡もかけられず、歩く時は雲の上を歩く感じです。ですから、夜間のこの誘導灯は本当にありがたかったです。(普段何気なく思っていますが、街中にも街灯がなく暗いところは、眼が不自由な方はほんとに大変です。しっかり設備と整えて欲しいものです。)
 そして、食事の美味しいこと。朝は和食か洋食か選択でき、夕食も2通りあり、選択できます。この配慮も患者にとって見れば、ちょっと贅沢な気分です。