躍進する韓国における水道水フッ素化とその歴史

ソウル国立大学歯学部 予防歯科学・歯科公衆衛生学教授 

国立歯科保健研究所長    金 鐘 培(DDS, MSD, PhD)

 

 

稿をおこすにあたり、フッ素化に尽力された故山下文夫先生のご冥福を祈ります。

 

1. 概 要

 朝鮮半島は北緯38度で南北に別れ、南の地域が日本に最も近い国、韓国(大韓民国)である。人口は4460万8726人(1995年)であり、行政的にはソウル特別市、6つの主要都市と9つの道から成る。

 さて、私はソウル国立大学の教授という立場から、この30年間にわたり、歯学の目的、歯科疾患抑制する際の原則ならびに個人開業歯科医と公共の歯科保健部門の共存について常々強調してきた。歯学の目的は国民の歯の寿命を延ばし、国民の口腔の健康増進をすることである。私は歯科疾患を抑制する際の原則としては、先ずは第一次予防、次いで第二次予防、最後に第三次予防が実践されるべきであると述べてきた。ややもすると、歯学は場当たり的に私的な部門で行われてきた。一方、公共の部門では国民の歯の寿命を延ばし、国民の口腔の健康増進を目的として実践されている。

 

2. 歯科保健の現状

 1977年から社会保障政策により国民健康保険制度と医療扶助制度が実施されている。前者は社会保険の一環であり、1977年から23年間にわたり医療保険を含んでいる。一方、後者は公的扶助の一環である。1995年現在、人口の93.3%は国民健康保険から、6.7%は医療扶助で給付を受けている。

 歯科医療分野には、歯科医師、歯科衛生士、歯科技工士の3つの職種があり、1999年時点での各々の人数は1万6608人、1万3769人、1万3259である。しかし、歯科助手教育を行っていないので、大半の歯科衛生士が歯科医院で歯科助手として働き、予防処置に従事する歯科衛生士はほんの僅かである。公共部門では、口腔疾患を抑制するという原則に基づいて、国民の歯の寿命を延ばし、国民の口腔の健康を増進するために、安全で効果的なフッ素の供給源として水道水フッ素化事業や学校の集団フッ素洗口事業が実行されている。

 とは言え、う蝕は相変わらず蔓延している。1995年では12歳児の永久歯う蝕罹患者率は76.1%、DMFTは3.1、DTは52.4%である。DMFT指数は1972年では0.6、1995年では3.1であった。抜歯の主原因はう蝕である。う蝕が原因で抜歯される割合は1980年で87.7%、1990年で85.3%、1995年で75.2%であった。

 

3. 水道水フッ素化の普及

 抜歯を減少させるため、まずう蝕を克服することである。う蝕は最大限に予防し、ウ窩は早期に修復されるべきである。

 ここで、私は扁鵲(Penche、ヘンジャク)についての逸話を紹介する。彼は古代中国において、華陀(Fata、カダ)と並び称される有名な医者である。某日、ある弟子が扁鵲に質問した。「私はあなたのように立派な医者になりたい。どうしたらそうなれるのですか?」と。扁鵲は答えた。「私は立派な医者ではない。有名なだけだ。私は進行した病気を治療することはできるが、次兄は初期の段階で直すことができ、長兄に至っては病気を予防することができる。従って、次兄は私よりも立派な医者であり、長兄は最も優れた医者である。」 要するに、第一次予防こそ最も重要なのである。

 正しく、予防が第一、早期治療が第二で、進行した病気の治療はその対症療法でしかない。さらに、水道水フッ素化やフッ素洗口のような公衆歯科保健事業は個人開業歯科医院で個々の患者に対する予防処置よりも更に効果的である。都市部における水道水フッ素化事業と郡部でのフッ素洗口事業を行えば、最大限にう蝕を予防できる。さらに継続的な口腔の健康管理を行えば、う蝕は早い段階で適時に治療することもできる。その結果、根管治療、抜歯、補綴処置などの必要性が無くなるであろう。このことから、都市部の水道水がフッ素化され、郡部では学校での集団フッ素洗口事業が普及し、しかもすべての地域で学校での継続的な口腔健康管理事業が普及実行されるべきであると私は主張している。

 韓国では、飲料水中のフッ素濃度は0.1ppm以下である。従って、水道水フッ素化されていない都市部や首都ソウル市では、1974年から学校での集団フッ素洗口事業が実施され、1983年からは国の歯科保健事業として政府に公認されている。1999年6月には児童の37.1%にあたる142万2000人が参加している。

 さて、1977年からは都市部で水道水フッ素化事業を開始した。その経緯を述べる。

1977年12月30日に厚生大臣である申鉉高(Shin、 Hyun-Hwak)がソウル大学附属病院補綴科を受診し、治療後に主治医の金光男(Kim Kwang-Nam) 教授に効果的なう蝕予防について尋ねた。金光男教授の「郡部では簡易水道にフッ素を入れることで虫歯を予防することができますよ。」との答えに申鉉高は熱心に耳を傾けた。申鉉高大臣は直ちに執務室に戻り、医政局長に対して「郡部の簡易水道にフッ素を入れるように」と命じた。厚生省は縦割り組織であるために、当日に医政局長は大臣命令で歯科保健行政を担当する医政三課長に水道水フッ素化の立案を指示した。私は韓国歯科保健学会長だったので、金光男教授が大臣に郡部で簡易水道にフッ素を添加するように答えたことを聞いていた。そのため、1978年1月4日に私は医政三課長のところを訪ねた際に、医政三課長(歯科医師でない)は私に郡部での簡易水道のフッ素化計画について相談してきた。私はソウル大学歯学部予防・公衆衛生学講座教授の立場から、郡部における水道水フッ素化はコスト高になるので、都市部で水道水フッ素化事業を、郡部で学校の集団フッ素洗口事業を実施するように進言した。ついに、医政三課長は私の提案を受け入れ、水道水フッ素化事業と学校の集団フッ素洗口事業案を作成するように私に要請した。それに応じて、ソウル大学歯学部予防・公衆衛生学講座のスタッフの協力を得て、都市部の水道水フッ素化のモデルと郡部のフッ素洗口のモデル校の2つの計画を作成した。その後、1978年の夏に、私は2つのプランを携えて厚生省を訪れた際にも、都市部では水道水フッ素化事業、郡部では学校の集団フッ素洗口事業を普及するべきであると再度主張した。同時に、厚生省内に歯科保健協議会を設置するだけではなく、都市部の学校における集団ブラッシング指導が展開されるべきであると強調した。それから、医政三課長は歯科保健協議会の原案を作り、1978年末には、厚生省は歯科保健協議会の6名のメンバーを指名した。医政局長が協議会の委員長となり、医政三課長、国立保健研究院の歯科保健研究官、予防歯科・歯科公衆衛生の2名の教授、工科大学の教授1名の構成である。協議会では水道水フッ素化のモデル事業を清州市(Chongju City)と鎮海市(Chinhae City)において実施することを決め、清州市の厚生局長、鎮海市の厚生局長、建設省の上水道課長も歯科保健協議会メンバーに加えることになった。しかし、この時には、1974年から実施されていたフッ素洗口事業は国のう蝕予防対策として認知されなかった。協議会の委員長としては、厚生大臣の命令に従わざるを得なかったのである。1979年の4月、厚生大臣は、清州市と鎮海市の局長、建設省の上水道課長と韓国歯科保健協会の理事長をメンバーに加え、委員会は10名で構成された。同委員会では、フッ素濃度は0.8ppm、フッ化物にはフッ化ナトリウム、添加方式は鎮海市で液状、清州市が粉末と決めた。1981年4月に鎮海市で、1982年2月に清州市で水道水フッ素化を開始した。しかし、韓国における水道水フッ素化の進展の過程において、実用的な知識不足という難題にも遭遇した。特に、歯科専門家と住民の間で水道水フッ素化に関する知識や意識水準が低く、水道水フッ素化の供給についての実用的な知識がなく、さらに2000年までの歯科保健政策目標もなく、専門的歯科保健行政は機能しなかった。内閣改造で申鉉高が首相に任命されて以降、水道水フッ素化を押し進める厚生大臣は一人も現われなかった。そこで、国立歯科保健研究所は2000年までの韓国政府の歯科保健の3大目標として、う蝕予防、歯周病予防、喪失歯の減少を押し進めた。その頃、私は厚生大臣に徹底して歯科保健政策目標を定めるように力説した。その結果、1994年末に厚生大臣は3大歯科保健政策目標を決定した。その時、私はこれらの歯科保健政策目標を達成するには予防事業、学校における継続的口腔管理事業、効果的な歯科保健教育事業を普及する必要があると断言した。私は、国立歯科保健研究所の所長として、厚生省内に歯科保健課を設置し、政府は歯科保健事業に予算を組み、3大歯科保健政策目標を達成するために歯科保健事業に協力を惜しまない努力をすることを強調した。こうして、厚生大臣の(Mr.HK Sohn)はこの意見を受け入れ、1997年末に歯科保健課を設置し、1998年から歯科保健事業と歯科保健事業の普及のための予算を計上した。しかし、地方自治体で歯科保健行政が独立するまでには至らなかった。この間、私たちは、世界中の公衆衛生学分野の偉大な指導者であるHerschel S.Horowitz先生、歯科保健教育における著名なAlice Horowitz先生を水道水フッ素化のシンポジウムやワークショップに招待し、水道水フッ素化の普及に関する実用的な知識を学んだ。また、ニュージーランド、ウェリントンのJohn Geoffrey Cavanaghさん、アメリカ、CDCのThomas G.Reevesさんを招待し技術的な知識を学んだ。1978年以来、私は歯科大学における教育の一環として水道水フッ素化に関する教育の必要性を強調すると共に、1985年からソウル大学歯学部予防・公衆衛生学講座は鎮海市と清州市の水道水フッ素化事業の評価をし、さらに厚生省に対して5万人を越える都市に水道水フッ素化事業を実行するように提案した。1988年に、予防を基本に考える若手歯科医師たちは健康社会の為の歯科医師会(Dental Association for Health Society)を設立し、地域における予防歯科の発展に力を合せて努力した。協会は都市部の水道水フッ素化に関するシンポジウムを開き、水道水フッ素化関連の記事を新聞やテレビ放送に寄稿した。特に協会のメンバーは、様々な教育的方法を駆使して、水道水フッ素化の考え方、効果、安全性、経済性、実用性について説き、1990年以降、中央政府の関係者や都市自治体関係者に対して水道水フッ素化を実施するように求めた。彼らはまた、街頭でプラカードを掲げ、宣伝を行った。キャンペーンの結果、1994年11月14日に京畿道果州市(Kwachon City,kyonggi Province)で水道水がフッ素化された。その年、32都市の自治体の関係者も一斉に水道水フッ素化について考え始めた。歯科大学での教育の一環としての水道水フッ素化に関する教育が1990年以降の都市部での水道水フッ素化キャンペーンという結果となって現れたことを私は特筆する。今では、水道水フッ素化推進の障害の一部分は解決されたと思う。その後、1995年に浦港市、1996年に寧越郡、玉水郡でフッ素化が始った。1997年には1市に水道水がフッ素化され、また、韓国水道公社(KOWACO)によって2市、2郡にフッ素化された水道水が供給された。1998年には2市、1999年には12市が水道水をフッ素化した。1999年末には、水道水フッ素化の恩恵を受けている人口は547万6000人となった。これは総人口の12.8%にあたる。また今年中に3市、2郡でフッ素化が予定されている。2000年末には総人口の15%がフッ素化の恩恵を受けることになる。

 国立歯科保健研究所では、1990年から毎年継続して水道水フッ素化のシンポジウム、ワークショップを開催している。それにも関わらず、水道水フッ素化事業は急速には広がっていないと思われる。そのうえ、私は今でさえ住民、歯科医師、歯科衛生士の水道水フッ素化事業に関する知識水準は本物であると考えていない。1993年に、950人の工業労働者に、水道水フッ素化に関するアンケート調査を行なったところ、対象の71.9%が水道水フッ素化に賛成した。1994年末から2年間フッ素化されている果州市に住む1591人の女性に、1996年に水道水フッ素化について質問したところ、水道水がフッ素化されていることを知っていた人は76.4%で、水道水フッ素化のう蝕予防に対する効果について知っていた人は88.2%で、その安全性について理解していた人は71.4%であった。結局、水道水フッ素化について過半数の賛成を得たが、私は都市部で水道水フッ素化事業に関する知識水準は本物であるとは考えていない。水道水フッ素化事業に関する知識と見解は変動しやすいと思っているからだ。

 次に、歯科衛生士1120名を対象に歯科公衆衛生に関するアンケート調査では、全回答者が水道水フッ素化の主旨を理解していた。しかし、それがう蝕予防に大変効果があると認めている人は52.8%であった。この結果、韓国の歯科衛生士の歯科公衆衛生に関する知識水準は高くないと考えた。また、歯科医の水道水フッ素化についての意識調査の結果として、2168人の歯科医師に来院する小児患者の中で、水道水フッ素化の地域に住んでいる患者の割合を歯科医に質問したところ、回収された783人中の48.3%はその質問に無回答であった。韓国の歯科医師が公衆衛生について見識が高いという科学的根拠はない。

歯学とは人々のために開発され、還元される応用科学である。歯学の目的は歯の寿命を延ばし、口腔の健康を増進することにある。その上で、う蝕を予防する責任については、歯科医師、政府、国民が負うものである。しかも、歯科保健に関する言動と行動は歯科保健についての認識に左右される。換言すれば、歯科保健の知識や意識は歯科保健行動として重要な予測となる。したがって、歯学分野におけるう蝕予防の知識、地域住民と歯科保健従事者間の知識格差を最小限にするために、水道水フッ素化事業は、計画され、実行され、地域に普及されることである。そこで、歯学分野におけるう蝕予防の差ならびに住民と歯科専門家の知識や実践との隔たりを知る必要がある。

 Herschel S.Horowitz先生は「水道水フッ素化とは、う蝕予防に最適な濃度に地域の水道水のフッ素濃度を調節する方法である。」と定義している。この定義の中のキーワードは「調節すること」である。糖質、脂質、蛋白質、ミネラル、ビタミンは全て必須栄養素であり、フッ素もカルシウム、リン、ナトリウム、塩素、鉄と同様に有益なミネラルである。したがって、フッ素は重要な栄養素の一つである。このことから他の必須な栄養素と同じように毎日適量のフッ素を摂取することである。過剰なビタミン摂取によりビタミン過多となり、ビタミンを殆ど摂取しないとビタミン不足になるように、フッ素を(歯の石灰化期に長期にわたり)毎日過量に取ると斑状歯の原因になり、フッ素を毎日殆ど摂取しないと齲蝕になる。つまり、適量のビタミンを毎日摂取することは健康になり、適量のフッ素を毎日摂ると健康になる。不適切なフッ素の摂取は斑状歯にもなり、またう蝕にもなる。一方、適切なフッ素の摂取は私たちの口腔の健康さらには全身的な健康を守る。つまり、フッ素の不適切な摂取は口腔や全身的な病気を引き起こし、これに反してフッ素の適量摂取は口腔の健康を守るだけではなく、全身の健康も守る。私は国民の健康を守る手段として地域の水道水をフッ素化すべきであると信じている。適量のフッ素を毎日摂取することは中庸であると私は考える。つまり、水道水フッ素化は健康を維持するための中庸の方法である。過去50年間にアメリカ、カナダ、他の国々で実行された何百の研究で都市部の水道水フッ素化のう蝕抑制率は50から60%と証明されている。水道水フッ素化は効果的であり、安全で、経済的で、実用的である。アメリカはじめ諸国の主要な保健機関は水道水フッ素化をが承認している。WHO、FDI、IADRの国際的な機関もこれを支持している。韓国でも国立歯科保健研究所、歯科医師会、医師会はじめ主要機関が水道水フッ素化を支持している。水道水フッ素化は、上水道塩素処理、伝染病の予防接種、牛乳の低温殺菌法とともに世界における四大公衆衛生事業の一つである。

 また、う蝕は歯科医院で個人を対象に各進行段階に応じて予防処置されるべきである。それにもかかわらず、第一次予防処置は15.01%に過ぎず、補綴処置である第三次予防処置が72.51%を占めた。大方の歯科医は国民に一次歯科診療として機能回復処置を提供している。進行した齲蝕の保存修復、齲蝕歯の抜去、齲蝕による喪失歯の機能回復処置では齲蝕を永久に克服できない。この面では、韓国の歯科医師や歯科衛生士は残念ながら齲蝕予防に貢献しているとは言い難い。

 1994年末に厚生大臣が決定した3大歯科保健目標設定の遅れ、1997年末に厚生省内に歯科保健課設置の遅れ、地方自治体では歯科保健行政組織が設置されていないことを大変残念に思う。このように韓国では3大歯科保健目標の達成に遅れを生じた。そのため、私は政府に対して、2020年までの長期的な歯科保健政策目標を設定することを奨めている。また、私は21世紀の最初の20年間に達成する長期歯科保健目標を草案作成中であるが、その中には、水道水フッ素化事業によって達成できる項目もあり、21世紀前半に水道水フッ素化を拡大するべきである。これらの状況を踏まえ、歯科保健法も制定された。1998年に若手教授陣によって歯科保健法案の草案が作成され、国会議員の黄 圭宣(KS Whang)によって国会に提出された。歯科保健法案は1999年末に国会で審議・決議され、2000年初めには大統領が公布した。この歯科保健法には「地方行政の長官は水道水フッ素化を普及することを推奨する」と規定されている。

 

4. 結論

  1.水道水フッ素化事業が開始された1981年以来、水道水フッ素化によって口腔や全身的な障害が発生したという報告はない。

  2. 水道水フッ素化が実施している都市部のう蝕抑制率は47%であると報告されている。

  3. 水道水フッ素化事業は安全で効果的なフッ素の供給源である。

  4. DMFT指数は過去数十年でなお増加している。

    1999年末では、水道水フッ素化の恩恵をうけているのは総人口の約12.8%である。

  5.う蝕を克服するために、歯科医師と歯科衛生士は住民に対して水道水フッ素化事業について教育に努める。

  6.政府と国民は21世紀に更に水道水フッ素化を普及するために自助努力し、組織的に協同作業をする必要がある。