介護保険と歯科:ドイツの介護保険制度から

香川県三豊総合病院 歯科保健センター   木村年秀

 

わが国では,世界に例をみないスピードで超高齢化社会を向かえ,その対応として本年4月より介護保険制度がスタートした。この介護保険制度を実施している国はわが国とドイツだけである。ドイツでは1995年4月より介護保険がスタートし、5年数ヶ月が経過している。様々な問題点もあるようだが,概ね順調に経過している様である。本年5月に,このドイツの介護保険精度を視察研修する機会が得られたので,その様子を紹介し,日本の介護保険制度,また介護保険と歯科の関わりを考えてみたい。ドイツと日本の介護保険制度の違いについて最も強く感じたことは,ドイツは制度そのものが極めてシンプルであるということである。介護度は3ランク,介護認定は2人で行い、ケアマネージャーは存在しない。サービス内容も介護と医療がはっきり区別されており,介護保険の中に医療行為は一切含まれない。リハビリも介護保険の対象ではない.もちろん,歯科サービスは介護保険の中に含まれず、なぜ歯科医師が視察にきたのかと不思議がられた。日本で実施されている介護保険制度を無批判に受け入れてきたが,客観的に見つめなおす良い機会となった。ところで,ドイツでは高齢者あるいは要介護者に対する歯科的対応が遅れている。一部、積極的に在宅や施設で訪問治療する歯科医師はいるようであるが,ほとんど対応がなされていないようである。保険医療制度的にも訪問診療に対して,日本のように高い点数は認められていないようである。連邦保険歯科医協会では高齢者の歯科医療に関する専門委員会報告書をこの11月に発刊するとのことであった。

一方,わが国においては介護保険における居宅サービスとして,居宅療養管理指導の中に歯科医師によるもの,歯科衛生士によるものが盛り込まれている。しかしながら,サービスの利用状況は極めて低調であると聞く。当院で香川県下における全居宅介護支援事業所(ケアプラン作成機関)を対象として実施した「歯科サービス利用状況に関するアンケート調査」の結果によると,回答のあった事業所が担当している全ケース6,938件のうち介護保険の歯科サービスを利用しているのはわずかに57ケースで全ケースに対する割合では1%に満たなかった。歯科サービスが適正に利用されない理由に関しては、「利用料が高い」という声も聞かれるが、「口腔問題が十分に把握できない」という回答が最も多かった。口腔問題をもれなく把握できるようなアセスメントシートの使用,歯科専門家からの口腔情報の提供が問題解決のポイントとなるようである。

全国国民健康保険診療施設協議会(以下,国診協)では、平成6年より高齢者,特に要介護高齢者の歯科保健に関する調査研究,モデル事業を実施している。その結果として,口腔問題を効率的にアセスメントできるような口腔ケアアセスメント表を開発し,国診協版在宅エアアセスメント表の中で「嚥下・口腔の問題」の独立した項目として取り扱われている。また、平成11年度に実施した「介護保険制度を適正円滑な実施に資するための歯科口腔情報提供モデル事業」では,要介護認定を受けた者1,174名(在宅)を対象に口腔情報提供書を作成し、担当ケアマネージャーに提出、ケアプラン作成のための参考資料としてもらおう事業を実施をした。事業前には訪問口腔ケア利用者は要介護認定者の10%であったが、この情報提供書後ケアプランに口腔ケアを採用したケースが361ケース(44.5%)あり、ケアマネージャーからも非常に有効な事業でケアプランを作成する際に口腔情報提供書が参考になったとの意見が多く聞かれた。

国診協が平成6年に80歳を対象にした「歯科口腔保健実態調査」では、歯を多数保有しているほど,年間総医療費が低く,歯科医療費は高いという結果が得られた。多少の歯科医療費を注ぎ込んでも,歯を残すことにより全身の健康が確保され,医療経済的にも有益である可能性が示された。ところが,現状ではわが国の高齢者の口腔状況は惨憺たる状況である。8020を提唱しているものの残存歯数は少なく(国診協の診査では平均5本)、たとえ多くの歯を残すことができても要介護状態になると、口腔が放置され、う蝕が急速に進行し,破折,残根状態になるケースが非常に多く見られる。介護の現場からは8020運動はやめてほしいとの声さえ聞こえてくる。多くの歯を保有したまま要介護状態になると、かえって悲惨な状況になってしまうケースをたくさんみてきているからだ。我々国診協が平成8年に実施した「高齢者施設における歯科口腔保健実態調査」の結果、特養入所者のうち有歯顎者では,現在歯数は約9本であったが、約半数が未処置歯、2.8本が残根状態であった。小児ではう蝕は近年減少傾向がみられるが、う蝕は小児だけの問題ではない.障害者,要介護者にとっても急いで解決すべき問題である。個人の努力に頼らない,公衆衛生的手法である上水道フッ素化等の科学的根拠に基づいた根本的解決策を選択する時期がきているのではなかろうか。その他,要介護高齢者は嚥下障害それに伴う誤嚥性肺炎,口腔乾燥など様々な口腔に関する問題を抱えている。

口腔ケアは口腔局所のみならず,全身状態に大きな影響を及ぼす。平成10年に実施した高齢者在宅口腔介護モデル事業では,2〜3ヶ月間の短期間の口腔ケア実施により様々な効果が得られることが示された。褥創が46%,下痢が50%,便秘が16%のケースで改善した。咀嚼機能,嚥下機能が改善したことによると思われる。口腔ケアはQOLの向上や介護負担の軽減に多大な貢献ができることを,介護担当する様々な職種や要介護者,家族に理解してもらうことも,介護保険における歯科サービス利用の普及には重要なポイントになるであろう。

 

日本においては要介護者の対応は「かかりつけ歯科医」の役割として位置付けられているようであるが、現状では積極的に訪問する歯科医療機関が対応している。ドイツにおいては,要介護者に対する組織的な歯科の対応はまだまだこれからという状況であったが、訪問介護ステーションや施設,老人病院、リハクリニックなどでは訪問してくれる歯科医療機関に依頼しているようだった。要介護者に対する歯科サービスに関しては参考になるような事はあまりなかったが,様々な現場の視察から老人一人一人の生活を非常に尊重していると感じた。わが国ではややもすると画一的な対応に陥ってしまうことがあるが,ドイツでみた「個人の尊厳」は非常に大きなインパクトを覚えた。

木村 年秀(きむら としひで)先生  E-mail:mghdent@mail.goo.ne.jp

昭和36年  香川県生まれ

昭和61年  岡山大学歯学部卒業,予防歯科学講座 助手

平成3年  島根県美都町国保歯科診療所 所長

平成7年  岡山大学歯学部 予防歯科学講座 助手

平成8年  三豊総合病院 歯科口腔外科 医長・歯科保健センター 医長(現在)

 日本口腔衛生学会 評議員

 全国国民健康保険診療施設協議会 歯科保健部会 委員

 介護支援専門員、 介護認定審査会 委員

(著書)むし歯とキッパリ別れる本「共著 早稲田出版」

    虫歯の敵は幾万ありとても「共著 健友館」

    実践予防歯科「共著 医歯薬出版」