富山県むし歯予防フッ素推進市民ネットワーク 発会式・記念講演要旨    平成13527演題「健康はみんなの願い−人類の英知:ウォーター・フルオリデーション−

                         日大松戸歯学部 教授 小林 清吾

 今日の歯科では大変魅力的な時代を迎えています。すでに歯科医学は、歯を失う最大の原因であるむし歯や歯周病を予防する方法を手にしているからです。人々にそれらの情報を伝えることの意義を認め、予防が歯科医療全般に与えるインパクトの大きいことに心ある歯科医達は夢を膨らませています。アメリカ、オーストラリア、北欧などでは国家単位で小児のむし歯有病率を激減させることができました。成功の要としてフッ化物の応用とシーラントがあり、その他代用糖、歯口清掃法、定期健診が実施されています。

 我が国でもようやくむし歯減少の傾向が見られてきましたが、まだ先進国に比べ約3倍の多さで、全体的にみると予防の時代はまだ始まったばかりといえます。これからのむし歯予防には市町村を単位とした公的事業と、個人の努力が重なる必要があります。即ち、フッ化物利用を基盤とした有効な方法を継続利用できる社会システムの整備と、歯や口の健康を大切に考える個人の動機付け教育が重要です。子供達をむし歯から守るために、学校が、また社会が何をすべきかをご一緒に考えてみたいと存じます。

  1. 歯を失う悲しみ

歯は失ってから初めて分かるもの、かもしれません。今まで、歳をとったら歯を失うことはしょうがない、とあきらめる傾向にありました。しかし、歯は再生能力の無いもので、これを失ってからでは本当の意味で元に戻す方法はないのです。平均寿命は80歳を超えましたが、歯の寿命(歯が生えてから喪失するまでの平均年数)は短く、永久歯のなかでもっとも寿命の短い奥歯(第二大臼歯)で50.8年、長い犬歯で63.8年であり(歯科疾患実態調査:1999年)、75歳以上では57.3%が歯の無い者となっています(1993年)。このように多数の歯が失われる中で、約9万人の歯科医師が治療に専念して、国民全体で合計した歯科医療費は癌の医療費より約2割高くなっています(25,204億円、厚生省:1998年)。

2.歯喪失の原因とリスク要因

歯科医院で抜歯を行う際に付けられた病名調査から、歯喪失の原因としてむし歯が55%、歯周病が38%、その他7%との報告があります(木村:1987年)。一方、中年以下の者においてはむし歯原因の症例がより多数を占め、高齢者においては歯周病による率が増大することが一般的に認められています。また、継続的な臨床調査で(安藤、小林:1995年)、抜歯に至る10年―20年前のリスク要因分析を行った結果、冠治療(歯全体を金属で覆うむし歯治療)を受けた歯は冠治療を受けていない歯に比べ38倍の高い率で喪失していることが認められています。さらに、一本の歯を失って生じた孤立歯(隣接する歯が無い歯)は、正常な歯列にある同名歯に比べ、23倍の高い喪失歯率でした。これらの結果は、高齢者における喪失歯症例の多くにおいて、実は、以前のむし歯とこれに対する治療が歯周病悪化の引き金になっていることと考えられます。

3.むし歯の実態とリスク要因

むし歯は乳歯の萌出始めた幼児から発生が始まります。乳歯を含めたむし歯有病者率は小学生で80.8%(文部省学校保健統計調査:1999年)、永久歯一人平均むし歯数は12歳児で2.4歯、2024歳では9.5歯です。そして、残存している一人平均むし歯数(未処置歯+処置歯)は35-39歳でピークとなり13.9歯となっています。その後は喪失歯が増加し、80歳以上ではほとんどの歯が失われ、残存している歯は約8本となり、そのほとんどはむし歯です(厚生省歯科疾患実態調査:1999)(調査人数が限られており、国民全体の実態としては不正確)。

4.フッ化物利用を基盤とした効果的なむし歯予防法

 むし歯発生の原因は歯垢の成熟としょ糖の摂取によるものです。しかし今日の健康的な日常生活においても、これらの原因をむし歯が発生しないほどに除去することは極めて難しく、歯質強化(ワクチンのように体質を強化する方法)を行うフッ化物の利用がもっとも有効です。これに加え、特にむし歯になり易い奥歯の溝を樹脂で埋めるシーラントも非常に有効です。水道水フッ化物イオン濃度適正化(以下、ウォーター・フルオリデーション)をはじめ、フッ化物洗口法、フッ化物含有歯磨き剤、フッ化物歯面塗布などいろいろな方法が開発されてきています。フッ化物とシーラントによるむし歯予防法の有効性を示す臨床報告は数限りなく、世界各国で長年にわたるもので、今日得られている科学的証拠の中でもっとも信頼されています。また、キシリトールやパラチノース等、多種の代用甘味料が開発されてきており、しょ糖使用の一部を代用糖と置き換えることにより、むし歯予防がいっそう促進されることが期待されています。

5.学校や地域での保健活動の進め方 

 人間は家庭、学校、地域、環境の中で助け合って生活しています。意識するか意識しないかを問わず、衣食住を含め生活要因を密接に共有しています。個人の健康を守る上で、本人の努力が重要ですが、同時に個人の生活背景となる家庭、学校、地域、環境を適切に改善することは極めて有効です。WHOは人々の健康を促進する方策として、ヘルスプロモーションという概念を提案しています(オタワ憲章:1986年)。むし歯や歯周病を予防する地域保健活動を進める上でも、この概念はもっとも基本的で有用です。ヘルスプロモーションは、(1)政府による健康政策の立案、(2)適正環境を作ること、(3)地域住民活動の活性化、(4)健康に関する個人の技術を向上すること、(5)医療サービスの適性化、からなっています。ヘルスプロモーションの最も良い具体例が、学校でのフッ化物洗口法や地域でのウォーター・フルオリデーションを実現することです。または、そのような目標実現の過程そのものがヘルスプロモーションです。

6.ウォーター・フルオリデーションの実現を目指して

 ウォーター・フルオリデーションとは、飲料水に天然に含まれるフッ化物イオンの濃度を歯の健康にとって適正なレベルに調整することです。この適正レベルは自然状態での水中フッ化物イオン濃度の調査から発見されたもので、自然を模倣し、水に関する人々の環境を適正化することです。ウォーター・フルオリデーションは、安全で有効性が高く、地域に住む総ての人々が平等に利益を得ることができる方法です。その高い有用性に基づき、WHOをはじめ世界の150を超える医学・保健の専門機関が推奨している方法です。

世界各国における実績から、小児を対象とした調査で、永久歯(86報告)で5060%、乳歯(66報告)で4050%と報告されています。成人における飲料水中フッ化物の有効性は天然の至適フッ化物イオン濃度地区での調査から、歯冠部(2056%)及び歯根面(1788%)のう蝕予防効果が認められています。また、この方法は極めて経済性に優れており、米国の例をとると、設備費を含めて一年間、一人あたりのコストは平均55セントでした。

 世界におけるウォーター・フルオリデーションの実施状況は以下のごとく、約60か国、3億5,770万人以上に及んでいます。

  (イ) 調整によるもの         38か国  3億1,900万人

  (ロ) 天然によるもの         42か国    3,870万人

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 ()()いずれかの方法による「ウォーター・フルオリデーション」の実施国は56か国、35,770万人(未報告を含めるとこれ以上)となっています。

最近普及の進んでいる国として、韓国では1994年に一か所で開始され、1999年末には31地区、548万人、総人口の13%に普及しています。また、米国では、現在、米国50大都市のうちニューヨーク、ロスアンゼルスなど、46都市(他サンジェゴでも実施を決定)に普及しています。2000年までの到達目標、水道給水人口の75%がほぼ実現したとの見通しで、今年度中に正確な実施率が発表されることになっています。

 一方、1971年スウェーデン、19731976年オランダ、1992年フィンランドでは一時行っていた調整によるウォーター・フルオリデーションを中止しています。しかし、いずれも安全性や効果等、医学的、倫理学的理由によるものでなく、政治的決定によるものでした。なお、フィンランドでは20万人、スウェーデンでは75万人が天然適正フッ素濃度水の供給を受けています。

日本歯科医師会や厚生省のリードにより8020運動が進められており、これは日本国民の歯の寿命を伸ばそうとする運動です。この運動の確かな実績を得るための基本方策として、ウォーター・フルオリデーションの一日も早い実現を訴えます。現在、我が国でウォーター・フルオリデーションを実施している地区は一か所もありませんが、1999年、日本歯科医学会より、また2000年には厚生労働省、日本歯科医師会からもフッ化物応用推奨の表明がなされたことから、今後近いうちにウォーター・フルオリデーションが実現されるものと期待されます。

(講師略歴)

小 林  清 吾 (こばやし せいご)   54歳

  ≪専門分野≫ 公衆口腔保健学・予防歯科学

   昭和21年 8月 新潟県に生まれる  

   昭和46年 3月 新潟大学歯学部卒業

   昭和46年 4月 新潟大学助手(歯学部付属病院予防歯科)   

   昭和57年 4月 長崎大学講師(歯学部予防歯科学講座)

   昭和57年10月 長崎大学助教授(歯学部予防歯科学講座)

   昭和62年11月 新潟大学助教授(歯学部予防歯科学講座)

   平成 5年 9月  〜 6年10月 NIDR/NIH(米国歯学研究所)客員研究員

   平成 8年 5月  〜 8年 8月 アデレード大学(オーストラリア)にて海外研修

   平成 9年 2月 アデレード大学(オーストラリア)にて海外研修

   平成10年 4月 日本大学教授(松戸歯学部衛生学教室)

   平成12年10月 日本大学松戸歯学部附属歯科衛生専門学校校長 現在に至る。

<最近の研究テーマ>

   1 歯科疾患の疫学

   2 むし歯診断法

   3 フッ化物応用によるむし歯予防法

   4 地域保健

   5 障害者歯科保健

<学会活動・各種委員>

   日大歯学会(理事)、日本口腔衛生学会(幹事/フッ化物検討委員会委員)、

   日本公衆衛生学会(会員)、日本小児保健学会(会員)、日本歯科医学教育学会

   (会員)、日本病理学会(会員)、日本障害者歯科学会(会員)、FDI(会員)、

   IADR(会員)、APHA[American Public Health Association](会員)、

   AAPHD[American Association of Public Health Dentistry](会員)、

   AAPD[Asian Academy of Public Dentistry](会員)

<著作・研究発表>

   著書:「フッ素と健康 その疑問に答えて」、「これからのむし歯予防、分かりやす

      いフッ素の応用と広め方」、「口腔保健のためのフッ化物応用ガイドブッ

      ク」、「新予防歯科学」、「フッ化物応用と健康」等