日本歯科評論7月号 榊原先生「故山下文夫先生について」の記事

山下さんを思う  榊原悠紀太郎 

AAPHDについて
4月末から5月初めの連休にかけての1週間にわたって,日本の歯科医にはなじみの深いオレゴン大学のあるポートランドで米国歯科公衆衛生協会−American Association of Pub1ic Hea1th Dentistry(AAPHD)の年次総会が開かれ,ちょうど中間にあたる430日に,協会が出している7つの賞の授与式が行われて,その中の公衆歯科衛生の活動に貢献した外国人を対象とした公衆歯科衛生国際特別賞(International Special Merit Award for Community Dentistry)が日本人の山下文夫さんに与えられた,という。このAAPHDという協会は1937年に設立されたというから,日本では保健所法が成立し,愛知県一宮保健所をはじめとして全国で49カ所の保健所が登場した昭和12年にあたっているし,その翌年には厚生省が生まれ,ロックフェラーの寄贈で公衆衛生院が出来ているから,日本の公衆衛生の夜明けの頃である。

AAPHDの7つの賞
この
AAPHD協会の実際の活動状況は詳しくはわからないが,ここでは毎年,会長賞(President'Award),特別賞(Special Merit Award),事業顕彰賞(Distin-guished Service Award),公衆衛生の学生の業績に対する2つの賞(Leveret Graduate Student Merit Awards for Outstanding Achievement in Dental Pub1ic HealthおよびAAPHD Dental Student Merit Awards for Out-standing Achievement in Com-munity Dentistry)と歯科衛生士学生の公衆歯科衛生分野の仕事に対する賞(AAPHD Dental Hygiene Student Merit Awards for Out-standing Achievement in Com-munity Dentistry),そして今回山下文夫さんの受けた公衆歯科衛生国際特別賞の7つの賞を出している。


・山下文夫さんの人柄
さて
,山下文夫さんといっても,実は宮崎県の都城の近くの三股町で開業していて昨年718日に51歳で亡くなっているし,亡くなった時も,日本の歯科ジャーナルには報道もされなかったくらいだから,もちろん知っている人は知っていたが,日本の歯科界ではそんなになじみのある歯科医ではなかったわけである。そういう山下文夫さんが「卓越した歯科公衆衛生の実践者である」ということ,とくにフッ素によるう蝕抑制について真撃な取り組みをしたということで,今回この表彰を受けたわけである。この山下文夫さんは,今時珍しい原理主義者のような純粋さで子供のう蝕抑制へのフッ素応用の実践に打ち込んでいて,今ではよほど根気よく捜さないと見当たらなくなったが,明治・大正の頃にはよく見かけた農業を愛しそれ一筋に打ち込んでいたいわゆる篤農家のような,いうなれば公衆歯科衛生の篤農家というような人だった。原理主義者だから純粋といえは純粋,悪く言えば単純でもあるから,時としては同志と思われる人とも激しく対立することもあったりして,小煩い存在でもあった.


・「子供の歯を守る会」の立ち上げ
この山下文夫さんは昭和
56年に新潟大学歯学部を卒業したが,その頃から彼白身かなり重篤な心臓疾患を持っていたのに,こで受けたう蝕抑制へのフツ素の意義について啓示を実践しようと深く思うところがあったらしく,故郷の人口18,000だった宮崎県三股町の町立病院歯科に直ちに赴任すると同時に,その地区の小学校でフッ素洗口に手をっけ「三股町子供の歯を守る会」を立ち上げ,積極的な行動を始めている.しかし,こういう活動は町立病院の立場ではやりにくいところがあったのか,そこに開業し直して,歯科大学から講師を招いて講演会や講習会を開いたり,子供の歯を守る会の会報を1,500も発行したりして,フッ素応用等の普及活動に打ち込んでいく。そして昭和59年には他の地域にも輸を広げ,「三股町子供の歯を守る会」を「宮崎県子供の歯を守る会」にまで育て,その会報『フッ素とむし歯予防』も15,000部発行するようになった.ちなみにこの会報は,平成127月の225号の終刊まで毎月出されていた。

・「いななき会」の輪
こういう中でも
,山下さんは地面に足をつけた活動を積極的にこっこつやっていて,それに共鳴する地元の人たちがたくさん現れ「いななき会」という集まりが出来て,昭和61年頃からは,在宅寝たきり老人の入浴サービス班を作った.これにはナースの美秋夫人も加わって,自分たちの仕事の合問をぬって日曜日ごとに日程を都合して,巡回して入浴サービスを行う事業を始め,今度はそれに感動してワゴン車を寄贈する人も現れ,これも充実するなど,派生的な公衆衛生活動まで広がったりしている。


・国際交流にも貢献
こんな間に山下さんは
,フッ素応用の面でも,何人かのフッ素研究者たちの外国訪問を支援したり,それらの人たちと同行したりして,国内だけでなく韓国,米国,中国などのフッ素推進者たちとの交流も積極的に進め,また外国のフッ素推進者たちの招聰を積極的に支援したりしていた.その頃,山下さんは今回公衆歯科衛生国際特別賞を授与したAAPHDのメンバーにもなったようである.


・家族の支援が山下さんを支えた
元来重篤な心臓障害を持っていた山下さんがこんな活発な積極的な活動が出来たことには
,実は両親の山下愛之助夫妻の揺るぎない支援と,ナースでもあった美秋夫人の内助の功という以上の,一体化した形での強力な支えも見落としてはならないと思う.今回の受賞に当たって,ご本人に代わって山下愛之助ご夫妻と美秋夫人が出席して賞を受けたことにも,単なる代理の受領という以上の意味を感じる.いずれにしても,公衆歯科衛生に限らず,こういう活動に携わる場合,万事そっなく時流に合わせていくことだけが多い中で,山下文夫さんのような子供のような純粋さを保って歩んでいた人のことは,やはり書き留めておく必要があると思う。