2001年(平成13年)4月30日 四国新聞 

シリーズ追跡127  水道水にフッ素  先進地韓国を訪ねて

 「適量のフッ素を水道水に添加すると効率的な虫歯予防になる」。WHO(世界保健機関)が加盟国に推奨し、米国を皮切りに60カ国が実施する「水道水フッ素化」だが、日本では全く普及していない。この現状を憂う日本の歯科関係者が19日から3日間、水道水フッ素添加施設の視察のため韓国を訪問した。1981年に鎮海市でスタートして以降、2000年までに31市、約550万人(総人口の約13%)がフッ素の入った水を飲み、虫歯予防にかなりの効果を上げているという。アジアのフッ素化先進地・韓国の実情を紹介する。

虫歯追放に官学一体

31市550万人に普及  「治療より予防」が定着

「熱意」

 「行政当局や学術研究者の熱意を実感できますよ」。「県フッ素利用を推進する会」の浪越建男さんに誘われ、視察団に同行した。釜山まで飛行機でわずか1時間。19日午後3時、汗ばむ陽気に包まれた金海国際空港からチャーターバスに乗り込み、上水道へのフッ素添加施設を巡る旅が始まった。

 視察団は若手の歯科医師が中心。「水道水へのフッ素添加こそが最良の虫歯予防策」と、1日も早い日本での実現に情熱を燃やす同志だ。自治体関係では、埼玉県健康福祉部の副参事や、同県吉川市と富山県利賀村の担当者も加わった。日本で水道水添加に踏み切った自治体はまだないが、すでに検討を始めた両市村は「推進地域」に位置づけられている。

 釜山大学歯学部予防歯科学教室の金鎮範の案内で、最初に訪れたのは鎮海市の上水道管理事務所。1981年に韓国のトップを切ってフッ素添加を始め、現在は17万市民に供給している。

 98年、国の補助を受けて1億4千2百万ウォン(約千四百万円)を投入、施設を全面改修した。一般にフッ素投入法は「粉末」「液状」の2種。ここでは粉末のフッ化ナトリウムを使い、水質基準に合わせた濃度の調整は、最新鋭のモニタリングシステムで自動的に行われていた。

 「わが市の水道水は安心して飲めます」。同事業所では、金炳魯市長の自筆メッセージが印象的な日本語のパンフレットを用意してくれた。」同市長は前回選挙で、フッ素添加による虫歯予防の効果をデータを挙げて強調。フッ素添加の継続を公約に掲げ、幅広い支持を得たという。20年間に及ぶ熱心な取り組みは、選挙公約に掲げることも可能な土壌を作り上げている。

 翌20日に訪れた慶州の上水道供給事業所は液状投下方式。鎮海、慶州いずれも濃度管理には細心の注意を払い、係員による抽出調査も毎日実施、モニターの数値との整合性をチェックしていた。両方式とも日本での導入には技術的な問題はないというが、同行した富山県高岡市の水道技術者は「液体は保管場所など維持管理で難しい面もあり、当初は粉末がいいでしょう」と指摘した。

 今回、大学関係では、数々の著書で歯科医師界や行政当局の姿勢を告発してきた東北大学歯学部付属病院予防歯科講師の田浦勝彦さんが参加した。田浦さんは歯科医を養成する大学教育についても「日本は問題だらけですよ」と手厳しい。

 韓国では、予防歯科の権威でフッ素化導入の立役者の一人・金鐘培ソウル大学歯学部予防歯科学教室教授を頂点に、門下生達がフッ素化運動を盛り上げた。「健康維持には予防が第一」とする共通認識と使命感を持った指導者が人的基盤を作り、20年かけて市民コンセンサスを導いたという図式だ。

 日本は正反対で、まず治療ありきが前提。背景にはフッ素投入による健康面の不安もあるが、田浦さんは「目先の利益を優先する業界の体質」を原因に挙げる。医療保険制度は治療が基本で、予防への保険適用は難しい。「虫歯が減ると患者も減り、もうからなくなる」。こう考える歯科医師が主流なのだという。

 だが、公共の福祉と個人の利益とでは、前者が重いのが世界標準。長崎大学歯学部で臨床助教授を務める浪越さんは「これからの歯科は予防が主流になる。社会の要請です。予防効果が上がれば仕事も広がる。でも、フッ素化について抗議しても学生の反応は鈍い。とにかく、総じて社会醸成に疎いんですよ」と嘆く。

 学生の歯質にも問題ありのようだが、教える側が治療医学に固執する限り光は見えないというのが田浦さんの考え。「平たく言えば劣性遺伝。こうして金太郎あめ的な学生が国家試験を受けるわけです」。

 旅の終わり、視察団に感想を聞いた。「正直、日本と比べて豊かとはいえない生活環境だと思う。なのに、これだけ虫歯予防に高い意識を持っていることに感動すら覚える」。埼玉県吉川市の歯科医で「フッ素利用を進める女性の会」の互亮子さんの感慨だ。

 田浦さんが指摘した歯学教育の構造的欠陥、浪越さんや互さんが口々に語った問題意識の差…。何やら文明論的な意味合いを帯びる重いテーマを投げかけられたような気がした。

 99年度の日本の12歳児のDMFT(永久歯の虫歯経験本数)平均値は2.4本。アメリカやオーストラリアなど、フッ素化を実施している他の先進国と比べると高い数字だ。単純にフッ素化の有無で片づけられないが、日本が有数の「虫歯大国」であるという事実は現状の虫歯対策の行き詰まりを如実に示している。「根本的な構造改革が必要」(浪越さん)。視察団の思いは一つだ。

厚労省やっと容認  ただし、住民合意が前提

「国内では」

 厚生省(現厚生労働省)は昨年11月、水道水へのフッ素添加を条件付きで認め、全国の自治体に通知した。日本歯科医師会もこれを追認。フッ素添加に慎重な態度をとってきた国と歯科医師会が容認に転じた事で、自治体の関心は庭かに盛り上がっている。

 今回の韓国視察に参加した富山県利賀村矢沖縄県具志川村が本年度予算に調査費を計上。差が、長崎、静岡の各県は市町村の取り組み支援やモデル地区構想を打ち出した。

 しかし、これで一気に水道水のフッ素添加が広がるかといえば、ことはそう簡単ではない。

 国が容認にあたって示した条件は 地域の歯科医師や住民の合意 水道法で定めるフッ素濃度(0.8ppm以下)の範囲内 の2点。さしあたって問題になるのが、前者の住民コンセンサスだ。

 別稿で触れた通り、フッ素利用には根強い有害説があり、一部の研究者が強く抵抗。赤ちゃんから大人まで、全員が口にする水道水に入れてまで虫歯を予防する必要があるのかという疑問の声も少なくない。、

 「健康面に悪影響はない。WHOが長年のデータに基づいて実施を勧告しているわけですから」。厚生労働省の滝口徹歯科保健課長は安全性に太古晩を押す。それなら、条件付き容認といわず、もっと奨励すればよさそうなものだが、「虫歯は個人予防の側面が強い。全国一律実施はどうも…」と、歯切れが悪い。

 で、つまるところ、厚労省のスタンスは「自治体から要請があれば支援する。積極的に添加を指導はしない」。各自治体の判断尊重といえば聞こえはいいが、ようは地方にゲタを預けた格好だ。

 

 「住民の過半数が賛成なら実施」という米国と違い、日本の自治体は異論がありそうなテーマは、提案さえ二の足を踏む。フッ素添加の町さ研究に乗り出す自治体は全国でもようやく数カ所。香川での動きはもっと鈍く「フッ素添加について市町からの相談はありません。模様眺めというところでしょうか」(県健康福祉総務課)。大半の自治体が検討対象にすら載せていない。

 欧米の学者が不思議がるほど遅れた日本のフッ素利用。「世界の常識」に追いつくには、まだ時間がかかりそうだ。

 黒島一樹、泉川誉夫が担当しました。

インタビュー    釜山大学歯学部予防歯科学教室   金鎮範教授

「安全性全く問題ない」

―韓国の水道水フッ素化の歩みは。

金教授 1977年、保健福祉部(日本の厚生労働省)長官がソウル大付属病院で受診した際、主治医の金光男教授に「虫歯の予防に有効な策はないでしょうか」と尋ねたところ、金教授は「水道水へのフッ素添加です」と即答した。教授の説明に共感した長官の命を受けた医政局の担当者が大韓口腔保健学会長の同大歯学部予防歯科学教室の金鐘培教授に相談し、検討に入ったのが始まり。

―そして鎮海市が第一号となった。

金 翌78年、保健福祉部内に、行政、歯科医師、大学関係者で構成する諮問機関「口腔保健事業協議会」が発足し、対象地域、フッ素の種類、濃度、添加装置などについて迅速に決定した。水道水におけるフッ素濃度は0.8ppm。米国から輸入した装置でフッ化ナトリウムを使い、81年に南部の鎮海市で初の水道水添加に踏み切った。

―全国的にうまく拡大していった要因は。

金 フッ素化のパイオニアの米国との交流が盛んだったこともあり、大学の歯学部で予防医学を基本とする教育が徹底していたことが大きい。フッ素の効能を熟知して巣立った学生が若手歯科医となり、フッ素化推進の担い手となった。

―上からも下からも盛り上がっていったと。

金 そう。97年には保健福祉部内に口腔保健課が新設され、普及に拍車が掛かった。現在歯総人口の約13%がフッ素化の恩恵を受け、政府は2003年までに約33%まで引き上げる計画を進めている。

―日本では遅々として進んでいない。

金 大学教育に少し問題があると思う。フッ素化について授業で触れない大学もあるそうだが、それでは時代の流れから取り残される。ただ、教育だけの重圧にしては話は進まない。行政.歯科医師会がもっと前向きにならないと。

―高濃度のフッ素を含む水道水を飲み、歯にまだら模様の斑(はん)状歯ができる被害が過去に兵庫県宝塚市で発生し、反対派の根拠の一つになっている。

金 間違った認識だ。適量ならば何の問題もないことは数々の科学的データで証明されている。斑状歯には五段階あり、軽い方から3段階目までは問題視するほどではない。「虫歯に比べれば斑状歯のほうがまし」と考えてほしい。第一、韓国や日本の水質基準(0.8ppm以下)が守られる限り、最も軽いレベルの斑状歯にもならない。

―杞憂にすぎないと。

金 フッ素は天然元素の一つ。ほとんどの食品に含まれ、なかでも緑茶や紅茶には比較的高い濃度で入っている。つまり、お茶を飲むことでフッ素を飲んでいることになる。こう考えれば抵抗はないはず。お茶を飲む時には健康への影響を心配する人はいないし、お茶を飲んで体調を崩したという話しも聞かないでしょう。

この記事は、四国新聞に4月30日3面に掲載されたものです。

素晴らしい内容の記事に対して、黒島一樹記者に敬意を表します。