イタリア 家族旅行記

2007年夏、8月13日ー18日の日程で、次女の語学研修の留学先、イタリアに家族旅行をしました。
「ローマ・フリータイム」というパックで、正味3日間の旅行でしたので、ローマ・フィレンツェを回りました。
2000年前の遺跡や、数百年前の美術品など、多くの世界遺産に接する事ができ、感動しました。
初めてのヨーロッパでした。日本と違って木の文化でなく、石の文化だと痛感しました。
多くの遺跡が残っているのもその所為ですね。

デジカメという便利なものができ、多くの写真を撮ってきました。(このページの写真は、山本武夫ほか家族のものです。)
時間を見て、少しづつコメントを加えて行きたいものです。

今回は日本語の観光ガイド無しの旅行でしたので、家族それぞれが、ガイドブック数冊の事前下調べから始めました。
また、三女と、オードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペック主演の映画「ローマの休日」のDVDを、行く前に見直したりしました。

                                                  ・・・初コメント:8月26日、山本武夫



8月14日(ローマ観光一日目)、2時間並んで入ったヴァチカン博物館。
なぜなら、翌15日は、祝日で休館日でした。そのため、観光客の襲来という感じ。
入ってすぐのバルコニーから見た、サン・ピエトロ寺院の円形天蓋「クーポラ」。

ヴァチカン博物館の回廊の彫刻群・・・古代ローマの英雄たち

ヴァチカン博物館内の天井画

ヴァチカン博物館内の回廊の壁画

システィーナ礼拝堂内の、ミケランジェロの「最後の審判」・・・これはガイドブックより(撮影禁止のため)・・・60歳から6年かけた巨大祭壇画。

ヴァチカン博物館の螺旋階段(出口へ)

サン・ピエトロ広場・・・広場の周囲の回廊と、屋根上の彫刻群

サン・ピエトロ寺院は、天井が驚くほど高く、身廊部・回廊部はどの面にも、数メートルの彫刻。

キリストの弟子で初代教皇ペテロ、信者に足をさすられています。

サン・ピエトロ寺院、中に入ってすぐ左のガラスケースにある、有名なミケランジェロの「ピエタ」(磔のキリストを抱く聖母マリア)。

ミケランジェロが手掛けた、クーポラ(大円蓋)から差し込む日光は神秘的。

サン・ピエトロ寺院を出て、広場を見ると、出口方向にサンタンジェロ城が見え、参道が伸びている。
参道の両脇には、いろいろとお土産屋さんが、並んでいます。

映画「ローマの休日」には、サンタンジェロ城河畔のビア・ガーデン(?)で、オードリー・ヘップバーン
扮するアン王女が、武勇を振るった、が、実際には、それは特設したそうです。今は、古代の武器博物館になっています。元々は、この城は、ヴァチカンでの突発事件に備えて、教皇らの避難所とされていたそうです。

またまた、「ローマの休日」で、お馴染みの『スペイン広場』。この頃、暑くて、階段を登る元気が失せていました。

こちらも、有名な『トレヴィの泉』。後ろ向きに肩越しにコインを投げてきました。さて、再訪は?


ここからは、8月15日(2日目)。ローマからユーロスター(超特急電車)に乗って、フィレンツェへ。サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドウモ)を訪問、ところがここも祭日で休館。

サンタ・マリア大聖堂の正面の門扉と、手前のサン・ジョヴァンニ洗礼堂の門扉に、フィレンツェや後にローマで活躍した有名な作家のレリーフがあります。

少し歩いて、シニョリーア広場で、ここまで来ると、フィレンツェ一番の目的のウッフィツィ美術館はすぐ隣です。これは、ミケランジェロの『ダヴィデ像』(ただし、レプリカで、本物は、少し離れたアカデミア美術館に展示。)。

ウッフィツィ美術館の前は、入場を待つ人でごった返していました。次女に、事前予約をしてもらっていましたので、すぐに入れましたが、当日の人は、何時間も待って入るようでした。厳重なる入場チェック(イタリアではほとんどの美術館でチェックがあります)を受けて、入りました。(無論撮影禁止なので、公式ガイドや美術ガイドが一杯販売されていました。)

ウッフィツィ美術館の2階休憩ロビーから、見たポンテ・ヴェッキオ(ヴェッキオ橋)。古代は野菜や肉の市場が並んで、中心繁華街的様相だったが、中世で洪水で流され再建されてからは、660年もその姿をそのままで残しています。第2次世界大戦でも、唯一破壊を免れ、現在は貴金属店が並んでいます。
ウッフィツィ美術館の中でも、有名な作品は、ボッティチェリの「春」と「ヴィーナスの誕生」です。これは、公式ガイド「フィレンツェ」からコピーさせてもらいました。
 「春」

 「ヴィーナスの誕生」


さて、8月16日(最終日)。
いつもは地下鉄A線だったが、初めてB線に乗り換えて移動。コロッセオに到着すると、東京ドームの横に立ったような感覚を覚えました。大きな古代競技場が、ほんの何年か前まで使用されていたような出で立ちでそびえ立っていました。

コロッセオの内部を、2階席から見ると、このような感じです。床が貼られてその上で剣闘などが行われました。地下には、猛獣や剣闘士が待機していて、エレベーターで押し上げられて登場する舞台装置もあったそうです。7万3000人が収容できたそうです。

コロッセオの2階から、コンスタンティヌスの凱旋門を望みます。右手の方角が、古代遺跡フォロ・ロマーノです。

コロッセオを出て、しばらく歩いてフォロ・ロマーノに入り、左手にパラティーノの丘があります。そこからは、古代遺跡の全容を眺める事ができました。中央奥のセヴェルスの凱旋門やその右手の元老院が見えますが、人は小さくてゴマ粒のようです。

古代ローマの政治の中心、元老院(共和制時代の最高政治機関)で、フォロ・ロマーノでは唯一完全な形が残る建物(実際には、1930年代に復元)。

セヴェルスの凱旋門を抜けて、カンピドーリオ広場方面に出たが、階段の一番上から、フォロ・ロマーノの来た方向を臨むとこうなります。対面に、パラティーノの丘が見えます。凱旋門の右上あたりが、カエサルの神殿跡で、形はほとんど残っていませんでした。まだ、発掘は続けられているそうです。

フォロ・ロマーノを抜け、映画「ローマの休日」で有名な「真実の口」のある、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会は、こんな建物でした。大変地味な、そして、町外れの静かなところです。

映画では、グレゴリー・ペックの手がなくなり、オードリー・ヘップバーンは大騒ぎのシーンがあります。その「真実の口」(嘘つきの手を入れると抜けなくなる)は、もともとは古代ローマの井戸の蓋です。

ホテルの近くのスーパーに買出しに行き、最後の日は、自炊です。

「どうぞ、いらっしゃいませ」(プレーゴ)

黒部か入膳のスイカそっくり。

カット売りのスイカ。

いろんな野菜、大好きなパプリカの大きさにびっくり。

甘瓜は、表面がすじだらけ。

左端の果物は初見。結局何かわからずじまい。

とうとう、最後はこのコーナーに。イタリア国産のフッ化物配合歯磨剤は、1450ppmF。

輸入品の歯磨剤各種。リンスはあまりありませんでした。

ミネラル・ウオーター各種。ガス(炭酸)入り、ノン・ガスいろいろあり、1ppmF程度のものは半分くらい。

「ウリヴェート」ガス入りミネラルウォーターはKorea−Japanのワールドカップのイタリアナショナルチームの公式ドリンクでした。(1ppmF)
8月17日午後3時半頃(現地時間)予定より1時間半あまり遅れてローマを出発。7時間の時差があり、日本には、8月18日午前9時半頃、到着しました。直行便のため、シベリア上空を抜け、成田まで、うまく気流に乗り、約11時間でつきました。

家族で行けて、大変、楽しい、嬉しい旅になりました。(山本武夫)








このサイトの写真は、全て、山本武夫とその家族に帰属します。(2007年8月21日)
   
ローマ市内の交通は、中心のテルミニ駅から、バスや地下鉄、国鉄(?)が出ており、私たちは、地下鉄が便利と、もっぱらこちらを利用しました。地下鉄は、A線とB線しかなく、あまり間違う事が少ないと思います。1回券は1ユーロで、75分以内なら、何回でも乗降がOKです。1日、何回も乗りたいなら、1日券が4ユーロで、こちらがお得です。乗るときは、自動の改札を通りますが、降りるときは切符の回収がありません。だから、乗るときは、改札の機械を、必ず通さないと、後で見つかったら、大変な罰金を取られるそうです。1日券なら問題がなさそうですが、1回券で、一日中乗る人が出る可能性が高くなります。でも、観光客は、使い終わった切符がいい土産になりました。
 

イタリアは、その昔、お金はリラで、日本と同じ、ドルに対して3桁でした。しかし、EUに加盟し、通貨統合されて、他のヨーロッパ諸国と同じユーロになりました。
このユーロというのは、紙幣も小さく(日本の紙幣の2/3くらいの大きさ)、何か情けない感じで、最高高額紙幣が50ユーロ(日本円で、8200−300円程度)です。
コイン(硬貨)も、2ユーロ(周囲が銀色、中が金色)、1ユーロ(周囲が金色、中が銀色)、50セント、20セント、10セント、5セント、1セントとあります。ユーロ硬貨の楽しみは、紙幣が、EU内共通なのに対して、硬貨が各国それぞれ違うので、この硬貨の発行の国を当てる楽しみがあります。珍しいものを見つけたら、クイズをしました。
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