多芸は無芸              2003年6月15日更新

 1999年10月10日HP開設時
2000年5月24日現在
2003年6月15日現在

 

「一芸に秀でるものは多芸に通ず」という諺がありますが、小生はこの対極にある「多芸は無芸」の人種です。数々の趣味をゆっくり、ご覧下さい。

初心者同様。NTTの知人、友人にハードの面は、助けられっぱなし。ワープロはシャープの書院をかなり使いこなせた。95で買って、98にヴァージョンアップしたけど、もうすぐ2000が出るのに、使いこなせてない状態。Word、Excellに続いて、Power Point勉強中。
ホームページを開設して、半年を経過したが、パソコンについては技術はぜんぜん進歩なし。しかし、昨年の「孫の日」に、家内の両親からパソコンを買われと娘たちにお小遣いをもらって、富士通のビルボを買ってから、Lan工事やら、プリンター増設やら、周辺機器がどんどんかさばり、大変。

それでも、メールを毎日開くのが、楽しく、また、ホームページも第10版まで来て、アクセスも1000を超え、少し満足気味。内容も、予定していた、フッ素によるむし歯予防関係が少しづつ、充実してきて嬉しい。もっともっと、一般の方に読んでもらいたい。

昨年、自ドメインを獲得するために、自分で個人用のサーバを持つことになり、家庭内でもLanで3台のPCをつないで楽しんでいます。娘たちもそれぞれメールをしたり、インターネットをしています。何よりも3台目のNECValuestar VC500/2はDVDーromもあり、四女の楽しみのDVD鑑賞が楽しめることです。
HPの容量もかさばり、自分のサーバのありがたさを痛感しています。
友人の指導の賜物です。
時間があれば、もう少しHPも工夫をしてみたいのですが、何せ、昨今目の手術を受けたばかりで、程ほどにしています。
やりたいときにやる、今のペースで行きます。
これも、初級者。むかし、NHKの囲碁講座の本や、通信教育で、すこしかじったけど、上達は、やっぱり数打たないとダメ。今、歯科医師会は6級ということになってるけど、勝率が悪いということは、それ以下か。大好きな武宮正樹九段が、最近調子悪いので、頑張って欲しい。顔や雰囲気が彼に似てるといわれたこともあるし。歯科医師会囲碁愛好会というのを、4-5年前に作って、事務局をしているが、師範代の柚木功先生に少しでも習えればと思っている。恒例の夏合宿、新湊の「八峰」が楽しみ。うまい魚と酒と碁三昧。
全くもって、進歩なし。最近は、本を読む情熱も薄れ、いけないと思うけど他が忙しくまずいなあ。碁敵に差をつけられるなあ。歯科医師会の事務局も1部移譲してもらって、少しは気が楽。パソコンとたまには、忘れない程度に打ってるけど、やっぱり物足りないなあ。
囲碁キチの皆さん、ごめんなさい。腕が上がらないのは打たないせいです。
ほんとに最近は歯科医師会囲碁愛好会の世話のほうだけで、いけませんね。興味は失ってはいません。枕元に1−2冊は囲碁の本があります。今度も中国人の女流棋士に皆で指導を受けます。それは楽しみにしています。
昔から、大の巨人ファン。母の実家で、昔読売の新聞扱ってたこともあり、小さい時から巨人一辺倒。少1入学に合わせて、長島が立教から巨人に入った。中学時代は、内野外野(投手捕手除く)すべてのポジションを守った。足が速く、また、パワーがあったほうで、1番または5番を打った。高校時代は、進学のため、止め、重量挙げなどの愛好会を作って、体をなまらないようにした。大学時代や、社会に出てからは、朝刊野球などで、楽しんだ。娘たちには、特別にやれと言ったわけではないのに、ソフトボールをやりだしたのには、びっくりするも嬉しかった。特に、長女が投手で、県大会まで行って、1勝したのはうれしかった。(ベスト8に進んで、優勝チームに完敗。)次女、三女も続いてしており、しばらくは、応援で楽しめそう。昔から、自分の打撃で、得意なコースは、インコース低目と、アウトコース高目。肩は強かったが、テニスのサ―ヴで傷めてからはだめ。今は、県歯科医師会の野球チームに入ってはいるが、補欠。背番号、24。

今年の巨人はつくづく残念。

今年の巨人は、行けそうだぞ。ミレミアム打線頑張れよ。北陸の生んだ、天才バッター松井秀喜は、今年最高。

長女は、高校で野球部のマネージャー。甲子園には縁のない高校だけど、それなりに頑張ってる。次女はソフトで、レギュラーだが、まだまだ、守備も打撃も、安心できない。たまに、中学校でノックしてやるかな。

やったー!読売巨人軍,2000年ミレミアム優勝!

ダイエーを破り,日本一。松井MVP。

(2000年10月28日)

今年は阪神が強い。でも最後に優勝できるかは・・・
松井君がヤンキースに行って、活躍しているのは嬉しい。NHKのBS放送が毎朝楽しみだ。松井55 (∴`´)/"☆---------o カキーン! HOMERAN!が少ないのは、もうしばらくの我慢だ。そのうち打って、30本にはなるだろう。
読売巨人軍がんばれ、戦力が整い出したら、いいところにいくだろう。10月の最終試合に優勝するつもりで・・・

長女が高校の野球部のマネをしていたお陰で、昨年までよく球児たちを追っかけた。砺波地区から甲子園を、伊東与二さんの指導もどこかで実を結んで欲しい。

 テニス

大学に入って初めて始めた。キャリアだけは長い。約30年。昔は、土のコートを耕し、ニガリを撒き、ローラーを引いてシーズンが始まった。木のラケットで小さく、なかなか上達しなかった。今は、全天候型コートで、ラケットも良く、すぐみんなうまくなる。大学の歯学部の硬式庭球部は、練習が厳しく、新潟大学では、全学のボート部に次ぐといわれた。しかし、卒業後、社会に出ると、あんなに練習してもうまい人は、山ほどいた。地元に帰って、地区のテニス協会などの設立や運営に顔を出して、少しは持ち上げられて、続けられた。町のテニス教室の講師などもしました。一応、県テニス協会の2級公認指導員の資格も取りましたが、最近顔を出さないので、除名されているかも。得意なショットは、フォアハンドのストローク。最近は、地元の大会に年1-2回出場するのみ。思い出は、学生時代の合宿、南真司先生と組んで越中庄川荘オープンに優勝したことと、県体と、県加盟団体戦に出たこと。
只今、休業中。とうとう、ラケットを持たない日が1年ほど経ってしまった。誰かに強力に誘われないと行けない。むかしの仲間よ、ゆるしてくれ。
昨年、ひさしぶりにちょっとは打ってみた。しかし、体が動かない。やっぱり年には勝てない。誘ってくれる誰かを待ってもいけないが、何かキッカケがあればまた再開したい。

 

大学卒業後、就職してから、院長の小笠原先生に習った。というより、連れていってもらったというほうが正しい。総武や習志野を随分回った。地元に帰って、千羽平の会員になった。最初にもらったオフィシャルハンデが31。独身時代はよく行った。でも、センスがない事がよくわかった。2年ぐらいして、27になったが、なかなか100切れず、こんなもんかと、以来、付き合いコンペが、主流に。1ラウンドのベストは、93、ハーフは43。ドライバーは、結構飛ぶけど、確率悪い。どのクラブが得意というわけでもないが、好きなのは、5番ウッド、6番アイアン、パター。思い出は、習志野で連続ホール、バーディーを取ったこと。忘れもしないあの日、翌日、ぎっくり腰で、動けなくなって、院長に整形外科に運んでもらった。
昨年、いやな思い出があり、今年もまだ1回きり。120もたたいて、ゴルフってこんなもんか。なさけなや。多芸は無芸に通ず、ぴったり第1号は、ゴルフと自身思ってる。
年1−2回のお付き合いゴルフ状態。体力に自身がなく、カートに乗って回ってきた先日のコンペ。スコアも63,49。少しは歩く鍛錬してから回った方がいいと実感して帰った。1週間は膝やら肩やらが痛かった。

 

 

昔から、スキーと水泳だけはだめで、スキーは、小さい時長靴スキーで、ノルディックのリレーの選手だったので、ごまかしが効いたけど、水泳は、本当に金づちに近く、25mいぬかきや、横泳ぎでやっとごまかしていた。近くに室内プールができ、早速スイミングスクールに入った。ビート板で、キックから教わり、け伸び、ボビング、片手クロールなどを経て、ようやく3ヶ月で25mクロールが泳げるようになった。しかし、平泳ぎのキックが、うまくいかず、背泳ぎのけりが長く続かず、バタフライの手の運びが下手で、なかなか上達しない。唯一の救いはようやく、力を抜いた泳ぎが少しづつできるようになってきたこと。50mから75mまで延ばしたのを100m続けて泳げるようになるのと、ハワイの海で泳ぐのが今の目標。子供たちは、すぐに上達するけど、自分のように遅く始めた人間は、進歩が遅い。健康のためにも続けたい。
母親の病気のために、スイミングスクールを2ヶ月休んだ。技術的には、1年前より随分進歩したけど、基礎体力が落ち、まだ、水をつかみきれてないため、スピードに乗れない、すぐに疲れて、長い距離が泳げない。平泳ぎは全然進まず、バタフライは手が水面から出ず、子供の進歩は早いが、自分の上達の遅いこと、いやになる。けど、2年前は、泳げなかったんだから、贅沢はいえない。すばらしい手ほどきの、津田コーチに拍手。
昨年末の目の手術で四ヶ月スクールを欠席。でも主治医からOKがでて再開。嬉しかった。その後、初めてクロールで1000mを連続して泳いで、ようやく2ビートのらくちん泳法がほぼものにできた。平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライはほんとに情けないほど未熟。今度はこの辺も少しらくに進むようにしていきたい。沢木コーチよろしく。

スキー 

前述のスキーが苦手というのは、現在も持っており、地元の人には、とても太刀打ちできない。しかし、長女や、次女をスキーに連れ出してから、少しづつ上手くなり、少々難しいコースも何とか行けるようになってきた。末の子が止めるまでは付き合いたいとおもってる。
今年はタイミングが悪く、平とオムサンタの森に1回ずつ行ったきり。長女の受験もあったからなあ。でも、年取ってくると、ひざが痛くて、ほんとに疲れるわ。
今年は、運転手だけに。三女と四女の平、閑乗寺高原の送迎をした。まだまだ、滑りたいが膝が痛くて遠慮した。来年はすべるぞ。
時々、暇を見つけて読むが、はまったら、睡眠時間を削ってしまう。家内や娘の菜緒子の勧めで読むことも多い。元来、推理小説が好きで、横溝正史、森村誠一、最近は、宮部みゆきや高村薫がおもしろかった。特に、宮部みゆきの「蒲生邸事件」が、ここ数年の中でベスト。高村薫の3部作、「マークスの山」「照柿」「レディ・ジョーカ―」も良かったが、少し重かった。今読み出した本は、桐野夏生の「柔らかな頬」と、娘の本で松岡圭祐の「催眠」です。
あれから、上の本はもちろん、だいぶ読んだ。ジャンルはいろいろ混ざるが、暇なし人間とて、あしからず。娘菜緒子の薦めの、松岡圭祐の「千里眼」は、ややついていくのが大変で、家内の読んでいた北村薫の「スキップ」「ターン」は、同世代の作品で、大変面白かった。昭和20年後半から30年前半生まれの人、必読。また、第44回江戸川乱歩賞受賞の、福井晴敏の「Twelve Y.O.」は、なかなかスリルに満ちた言い作品だった。妹尾河童の「少年H」や、宮本輝の名作「蛍川・泥の河」を少しまじえて、3月から母の入院中に、付き添い時に、今話題の、乙武洋匡クンの「五体不満足」を、涙流し読み、宮本輝の長編紀行エッセイ「ひとたびはポプラに臥す」(全6巻)を半分、シルクロードの写真を楽しみながら読んだ。

現在は、福井晴敏の「亡国のイージス」,新井素子の「チグリスとユーフラテス」、そして、長女菜緒子が誕生日のプレゼントに「お父さん,読んだら私に貸してね。なるべく,早く読んでね。」と薦めてくれた,ジョン・ダ―ントンの「エクスペリメント」のSF3冊を並べて,挑戦中。

最近、私の友人たちが、相次いで本を出しました。ジャンルは様々ですが、いい本なので、紹介します。宮崎県の山下文夫先生他の著書「むし歯とキッパリ別れる本」(早稲田出版、1200円)で、詳しくは、うしろのリンク集の宮崎県子供の歯を守る会を見てください。むし歯予防の決め手がこの1冊でわかります。

続いて、市来英雄先生・田浦勝彦先生の絵本「虫歯をキック!なぞなぞ山のフッソマン」(砂書房、1500円)で、お子さん向けに書かれたわかりやすいものです。

最後に、高校の同級生、加藤さんの旧姓での出版、長原啓子著「記念写真−光る・瞬間が・あれば−」(ポプラ社、1200円)は、純文学で、中学生時期の一生懸命な姿、ひたむきな生き方や心模様を著したもので、読んでいくうちに、何か忘れたものが蘇る素晴らしい本です。

2000年7月末「むし歯とキッパリ別れる本」の続編が発刊されました。

フッ素の敵は幾万ありとてもー世界の常識水道水フッ素化がわが国で遅れた理由とその解決策ー」という本です。

詳しくは,水道水フッ素化委員会HPをご覧下さい。

最近はあまりいろんな本を読んでいない。でも、ハリーポッターは、娘や家内の読んだ後にたのしまさせてもらっている。目の手術をうけた金大に入院中も、「亡国のイージス」とハリーポッターの四作(題名忘れた)を読んで楽しんだ。片目で疲れるのも知らず読みきったときの満足感は、最高!後で、家族や看護婦さんを心配させたのは反省。
今は、新書か文庫で、あまり長くないものを少し楽しんでいる。

 

日ごろから、注意して見ていると、本当に大勢の人が、いろんな場面で、ボランティア活動をしておられ、大変頭が下がる。そういう自分はというと、少年時代に、ボーイスカウトをしていた。その時代は、よく「1日1善」という言葉が流行っていて、人に尽くすとか、人のためになる事をするのは当たり前の行動であったように思う。自分の子供が、ガールスカウトをやりだした時、何か、ほっとしたものだ。また、家内が、フォスタープランに参加して、現在二人目のフォスターチャイルドの面倒を見ている(一応こちらも、出資者ということでフォスターファーザーになっている)。

ちょっと、内容は異なるが、PTA活動もなかなか意義がある。幼稚園と中学校のお世話もしたが、子供を通じて教職員と深い付き合いができるし、関連の会合では、いろんな人との出会いがある。昨年は、そういった意味で貴重な体験をした。井波町の「少子化シンポジウム」で、シンポジストで発言の機会を得た。子供が4人ということや、主催者側からの人身御供ということもあったが、いつもしているむし歯予防の話しと勝手は違ったが、普段着で話をさせてもらった。

全く人のためにという,ボランティアは,あるのだろうか。ある話を聞いたことがある。何で,ボランティアのサークルをやっているかと聞いたら,親が,内申書が良くなると言っていたから、と。

小生は、今何人かと、「水道水フッ素化市民ネットワーク」を作ろうとしている。これは、純粋に万人の健康のためのボランティア活動にしたい。これから,動き出そうとしている。具体化したら,このホームページの中にも詳細は載せるつもりである。

上記の「富山むし歯予防フッ素推進市民ネットワーク」は、愛称「あゆ(And You)の会」として,活動を開始しました。

HPをご覧下さい。

これについては,北日本新聞記事のページに,少し説明してあります。ご覧下さい。

「富山むし歯予防フッ素推進市民ネットワーク」の活動も少しづつ拡大してきた。1昨年、地元井波で発会、2年目の昨年は砺波、今年は高岡で総会を行った。NPO法人日本むし歯予防フッ素推進会議との共催で開催、県、富山県歯科医師会、高岡市歯科医師会の後援も頂いた。もっと輪を広げて行きたい。(And You (あゆ)の会のコーナーを参照)
それから、2000年11月、井波庄川ロータリークラブに入会した。国際ロータリー2610地区第3分区に所属する、小さな会だが、津田達雄先生(家内の主治医:現在ガバナー)の紹介で、少し新しい仲間を作ってみませんか、楽しみましょうと、勧誘されお受けした。いろいろ活動に参加させてもらい、大変有意義な思いをもたせてもらっている。今後も職業奉仕活動や社会奉仕活動、また、クラブ奉仕活動などの3大奉仕活動を中心に積極的に参加していきたい。And You (あゆ)の会とのジョイントイベントもさせてもらって、大変感謝している。(井波庄川ロータリークラブのコーナーを参照)

 

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