父 敏雄の50回忌

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 昭和30年(1955年)10月14日、享年35歳の若さで逝去した父、敏雄の50回忌を、2004年(平成16年)8月22日、井波町谷の実家で無事勤めました。
門徒の寺の、小矢部市津沢の光西寺様、谷の浄教寺様に来ていただき、親戚一同にお集まり願い、亡き父を偲んで、お経の後、井波健康浴泉で、懇親の場を持ちました。(父の簡単な記録【山本敏雄記】も作りました)
 父の兄弟姉妹も、姉よしいは、特養ホームで入所生活、姉のぶ子も痴呆症(今流なら:認知障害)で、デイサービスの厄介になり、弟哲夫は平成7年に他界し、妹久子は、高岡で苦労の生活、妹弘子は、持病との闘いということで、ご多分に漏れず高齢社会の縮図を見るような時代となりました。
 母綾子も、この50年は苦労の連続でした。よくここまで、私を支えてくれたかというとほんとに頭が下がります。50回忌の記念品に、井波町の有名な仏師、斉藤p琳先生の色紙「白衣観音」にしたのは、実は、父亡き後の50年は母の苦労を讃える50年と位置づけ、母のような観音様をと、お願いしました。斉藤先生には、うちのスタッフが先生のお弟子さんと結婚した縁もあり、ご無理をお願いしました。
 父のことは、50年が過ぎ、後は風化していくだけかもしれませんが、私の知りえた父の戦争体験は、地獄絵そのものだと思いました。渡辺憲央さんにお会いして沖縄や久米島の戦争体験を、聞かせていただきましたが、父のことも記録として残すだけのことはあると思い、記録誌「松本連隊の最後」という本から、簡単に拾い出し「山本敏雄記」として、親戚に配りました。
 子どもたちが、どこで目にふれるかわかりませんが、自分たちの先祖にこんな苦労した時代があったのだと理解する機会があれば幸いです。


井波健康浴泉でのスナップ写真【木村進さん撮影】